これは私が大学生の頃に入会していた怪談サークルの飲み会で体験した話です。
 その飲み会は年に一度、怪談サークル設立を祝う目的で、酒やツマミを持ち寄り、それぞれがその年に蒐集・創作した怪談の中から選りすぐって順に語るというものです。
 会場はいつも、とある駅近くに建つ寂れた商業施設のレンタルスペースで、薄暗い蛍光灯に照らされた廊下の突き当たりにある一室なのですが、なんら曰くがあるわけでもないものの、その会を催すにはぴったりな場所でした。
 メンバーが集まる中、サークル副部長のSさんの姿が見えませんでした。
 Sさんは廃墟マニアで、写真家でもありました。怪談話もほとんどが廃墟に関わるものであり、現地の写真を見せながら話す、その廃墟にまつわる怪談や、その廃墟を探索した時の話が好評でした。
 メンバーの誰もSさんとは連絡がつかず、仕方がないのでSさん抜きで会を始めることになりました。
 怪談が2、3話続いたあと、廊下の方から足音が響いて聞こえ、やがて部屋のドアを開いてSさんが入ってきました。
 皆が喜んで席に迎える声をかけるとSさんは、制するように手を挙げ、苦笑いをしながら、
「ちょっと用事があって人またせてるから直ぐ帰る」
と言って帰る素振りをしました。
 するとSさんの年来の友人であるサークルの部長が、せっかく来たのだから1杯くらい、とSさんの腕を引っ張って席につかせ、ビールを手渡しました。
 Sさんは、じゃあ1杯だけ、と言って飲み始めました。
 部長は間髪入れず、軽い調子でSさんにどんな用事なのか聞きました。
「いや大したことじゃないんだけど、◯◯町の家に行って首を吊る約束してて」
 Sさんの言葉にその場の皆が一瞬言葉をなくしました。普段、あまり冗談を言うような人でもなく、さも当たり前のように話すので、皆苦笑いすらできない様子でした。しかも「◯◯町の家」といえば、数か月前隣町にある、父親とまだ幼いその娘が首を吊り母親は行方不明、というぞっとするような曰くつきの家のことで、ニュースもかなりセンセーショナルに取り上げたので、私たちの中で知らない人はいませんでした。
 Sさんは平然として渡されたビールを煽っています。
 部長が、急ぎでないなら1つぐらい話をしていくよう言い聞かせました。Sさんは不承不承という感じで話を始めました。
「さっきも話した◯◯町の家のことだけど、今日ここに来る途中、ふと思いついてその家に行ってみることにしたんだよ。話のネタにでもと思って、それにそろそろあの辺も落ち着いて写真くらい撮れるだろうと思って。で、行ってみると立ち入り禁止のテープが張られているだけで、家自体は落書きとかも全然なくて、テープがなかったら普通に人が住んでてもおかしくないなと思った。でも普通過ぎてそれが逆に気持ち悪い感じ、落書きとか、窓が割れてたりとか、あってもよさそうなんだけど。
 さすがに家の中には入れなかったから、外観と、庭から窓の中だけを帰ろうとしたんだけど、庭から出ようとしたときに玄関の灯が点いたと思ったら中から40歳手前くらいのおばさんが出てきて、びっくりしちゃって思わず、すみません!間違えました!って言ったら、そのおばさんが全然気にしなくていいから、あがっていきなさい、首を吊っていきなさいって言ってくれて、申し訳ないなと思いつつも、この後用事があるので、それを済ましたあとでお邪魔します、って言ってここに来たわけ。だから、今日はそろそろ行かなくちゃいけない」
 じゃあ、と言って立ち上がるSさんを部長が制して、自分たちもついて行っていいか?と尋ね、私たちにも賛同を求めるように目くばせしました。私たちも部長に同調してなにかと理由をつけて自分たちも連れて行ってほしいと伝えました。
 Sさんは初めのうちは迷惑になるから、と言って同行を許しませんでしたが、部長が、家の前までだから、というとようやく折れ、皆で連れ立って「◯◯町の家」へ行くことになりました。
 家の近くまで来ると、あたりが騒めいており、家の前に人だかりができてきました。人だかりの向こうではパトカーの赤色灯があたりを赤く染めていました。
 やがて救急車が現れ、救急隊員が家の中から二回に分けて誰か(何か?)を運び出しているようでした。目隠しのブルーシートと人だかりで詳しい様子が分かりませんでしたが、人だかりの中から
「人が入っていくから通報したんだけど、まさかねえ」と、中年の女性がしきりにまくしたてるように言っていたので、なんとなく経緯が知れました。
 Sさんは一層呆然として、電灯に照らされた青白い顔で家を眺めていました。
 部長が、まだ首を吊りたいか、と聞くと怯えた様子で「わからない」とだけ答えました。
 ともかく、Sさんは首を吊らずに済みました。
 その後のニュース番組で、行方不明になっていた例の母親が遺体となって見つかったと報道されました。

タイトル

首吊りの家

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投稿者
S. A.
投稿日
2023-08-14
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